山梨の水晶
1.初めに
山梨の名産は、葡萄と水晶といわれています。宝石の街と謳っている甲府も、今では原石を
ブラジルなどからの輸入ものに頼っていますが、明治時代までは、県内に多くの水晶鉱山があり
玉、印材などに加工し、「甲斐の水晶」として、全国に名を知られていました。
「釣りは鮒に始まり鮒に終わる」と言われています。竹森でお会いする鉱物採集を始めて間もない人々が
小さな水晶を発見し嬉々としている様子や、水晶しか集めない石友のK氏の姿勢を見ると、
「鉱物採集は水晶に始まり水晶に終わる」と言うのも、あながち大袈裟ではないでしょう。
こでは、山梨県の水晶産地の盛衰と現況について、お伝えしたいと思います。
2.甲斐の水晶史
山梨の水晶は、縄文時代の石鏃(やじり)や古墳時代の勾玉などとして、県内各地の遺跡から
発見されており、水晶と我々の付き合いは,先史時代まで溯ることができる。塩山市竹森にある
玉諸神社は、元慶年間(877-885年)には、官幣社になり、御神体は高さ7尺(2.1m)の水晶であると
伝えられている。
下って、天正3年(1577年)には、金峰山麓で修験者によって水晶が発見されたと伝えられる。
徳川幕府時代には、水晶の採掘には、厳しい規制があって自由に採掘することができなかった。
山岳が風水害で崩壊し、たまたま水晶が露出すると、幕府にお伺いを立て、冥加金を払って
掘り出した。文化11年(1818年)に完成した、「甲斐国史」では、水晶の産地を次のようにあげている。
金峰山水晶嶺(甲府市水晶峠?)
竹森村玉宮社地(塩山市竹森)
田野入り天目山(大和村)
石水寺山金子峠(甲府市積翠寺?)
逸見筋浅川村(北巨摩郡高根町)
「甲斐国史」以降では、次のような水晶鉱山が開発された。
文政4年(1821年) 倉沢鉱山(牧丘町)
文政14年(1821年) 向山鉱 (甲府市黒平)
天保15年(1844年) 横手山 (武川村)
明治維新になって、我が国の近代化を進めるにあたり明治2年(1869年)に民間の鉱山開発を許可
した結果、採掘が自由になり、試掘、採掘が激増した。明治維新後も繁盛した鉱山は、水晶峠、倉沢山、
向山、押出山(黒平)と竹森山であった。このほか、乙女鉱山(牧丘町)、八幡山(須玉町)、
川端下(長野県川上村)などでは水晶が採れたが、一方では何百両という大金を投入しても水晶が全く
とれない鉱山も多かった。そこから、「水晶を掘れば、必ず破産する」と言われた。
こうして水晶の採掘は低迷を続けていたが、明治20年(1889年)ころ、水晶研磨工芸の中心地が、御岳
から甲府に移ってから、水晶原石の需要も増え、水晶山の開発は再び盛んになった。しかも、採掘した
水晶はその村所有という政策にしたため、水晶産出の最盛期を迎えた。繁盛したのは、竹森、倉沢(乙女
鉱山、鳳鉱山)、向山、押出山 、八幡、川端下などであった。しかし、業者間で激烈な採掘競争が行われ、
至る所で乱掘され、各坑はたちまち掘り尽くされた。明治22年の採掘高が1827貫(6.9トン)であったものが、
僅か3年後の明治25年(1892年)には、143貫(0.5トン)と十分の一以下になった。更に、明治40年(1907年)と
明治43年(1910年)の大水害は被害が大きく、特に明治43年のものは、水晶産地に源を発する荒川、塩川が
氾濫し、下流の甲府市などの市街地が多大の被害を受けた。そこで、山梨県は、水晶採掘を許可する条件とし
て、砂防措置を行うこと、採掘が終わった後は、原形に復するよう措置することなどの規制を出した。
掘り当てられるかどうか分からない水晶の試掘に多大の投資が必要になり、水晶の産出量は激減した。水害
の被害を受けなかった塩山竹森も乱掘がたたり、産出量が激減し、当時の鉱山所有者は、1日5銭の入山料を
とって、自由に水晶を拾わせたことからも、苦しい様子が偲ばれる。
大正2年(1913年)頃から、セイロン(現スリランカ)から原石の輸入を開始し、さらに、大正8年(1919年)
から、安価なブラジル産の水晶を直接輸入するに至り、山梨県産の水晶は、終焉を迎えた。
3.水晶の楽しみ方

水晶は、誰が見ても分かる単純な結晶でありながら、その楽しみ方は、図1に示すように、形、色、内包物
や共生鉱物の違うものを採集するなど、奥深いものがあります。
4.山梨県の水晶産地の現況
甲斐の水晶史にもたびたび出てきた、山梨県の水晶産地の現況について、報告いたします。
場所が今もって不明な産地や川端下のように、今の道府県の区分から言えば長野県になるような産地については、
別の機会に紹介させていただきます。
4.1塩山市周辺
4.1.1 塩山市竹森
(1)産地
中央線の塩山駅から北に、青梅街道を柳沢峠に向かって約3km進むと、新千野橋がある。その手前の「玉宮」
方向の標識に従って左折する。焼き1km行くと、右手に玉宮小学校のグランドと校舎が見える。校舎と神社の
間を行くと、「竹森水晶産地の概要」の看板がある。ここから、小倉山(955m)の麓に向かって農道を登って行く
と、玉諸神社に着く。神社のすぐ後ろがズリになっている。
(2)産状
この鉱山は,小仏古生層の黒色粘板岩に貫入した石英脈の晶洞に胚胎した水晶で,各種の共生鉱物を包有し
ています。 鉱脈は地表近くを走っていたため,坑道は,縦横,斜めの各坑いずれも,35m〜55mと浅いもので
あった。数年前に,古い坑道が,ひょっこり顔をだしたことがあった。
表の南半面(表山)は,透明な良質の原石を出したが量が少なく,裏の北半面(北山)は電気右,硫黄,雲母
入り水晶を多産した。特に有名なのは,苦土電気石を包有する「すすき入り水晶」でしょう。
(3)採集方法と産出鉱物
表面採集でも1cm程度の水晶は楽に拾えます。3cm以上のものは,ズリを1m位掘り込むと必ず採集できます。
20ケに1ケ位の割合で,表面にルーペサイズの鋭錐石が付いたものがありますが,現地では粘土が付着していて
分かりにくいので,家に帰って,洗ってみて初めて気づく事が多い。また,両維の水晶も結構見つかります。
神社のすぐ後ろのズリで,3mm前後の小さな水晶のついた群晶の間に,ルーペサイズですが,鋭堆石と板チタ
ン石の付着したものを採集できる。

4.1.2 塩山市平沢
(1)産地
産地を図2に示す。竹森の水晶山を右にみて,更に奥に行き,平沢の集落を抜けると,左手にます釣堀(跡?)
があり,その先約200mで2又になっている。右に行けば,鈴庫鉱山に行くことができるが,ここを左に,道なり
に行くとコンクリートで舗装した広場にでる。ここに車をとめ,畑の間の農道を約100m行くと,右手に山道への
登り口がある。ここを登って行くと,約200mで,石英が散乱している鉱山跡にたどりつく。
(2)産状
この鉱山は,竹森同様に石英脈の晶洞に胚胎した水晶である。この鉱山の主役は氷長石で,水晶はむしろ脇役
です。
(3)採集方法と産出鉱物
粘土質のズリを掘り返すと,水晶が見つかります。水晶は,透明なもの,竹森の流れを受けてススキ入りそし
て,表面に各種の鉱物(硫此鉄鉱?)が付いたものがあります。

4.1.3 塩山市裂石
(1)産地
塩山市の裂石地区(図3)では,かつて花崗岩の採石場が大規模に稼働しており,各種のベグマタイト鉱物が
採集できた。【平成10年現在休止】
(2)産状
ここは,典型的な花崗岩晶洞ペグマタイトで花崗岩の質が良いせいか,蛭川村などに比べ晶洞は小規模です。
(3)採集方法と産出鉱物
採石場の跡地やズリ石捨て場で晶洞を探し,タガネとハンマで掻き取ります。晶洞からは,氷長石,菱沸石,
緑簾石などの珪酸塩鉱物のほか,黄鉄鉱,黄銅鉱,灰重石などが採集できます。水晶は,花崗岩に含まれる放射能
の影響か煙水晶が多く,また,大きなものは少なく1cm弱で表面が緑泥石で覆われていることもある。
4.2 金峰山周辺
金峰山周辺の主な水晶産地は、乙女鉱山、水晶峠、小川山、金峰山、瑞がき山、小尾八幡山などをあげることが
できる。
4.2.1乙女鉱山
(1)産地
乙女鉱山は昇仙峡を経て甲府盆地に流れ込む荒川の上流にあり、甲府市乙女坂の乙女鉱山と東山梨郡牧丘町字倉沢
の倉沢鉱山の総称です。乙女鉱山は,日本式双晶や「ライン鉱」で有名です。
塩山市から焼山峠を経て柳平集落のはずれにあるゲートから約2km行き,上りきった所に,鉱山に通じる入り口
のゲートがあります。ここから1kmほど車を乗り入れ,そこから約2km(徒歩30分)で鉱山の建物跡が見えてきま
す。図4に,産地を示します。

(2)産状
乙女鉱山は,荒川を中心とした馬蹄形の鉱体で,明治初年から昭和50年半ばまで長年にわたって採掘していまし
た。その結果,坑道,ズリも広範囲に広がっています。
(3)採集方法と産出鉱物
採集方法はズリを掘るか,崖を崩して晶洞を探すかのいずれかになります。ここの水晶は透明良質のもので,小さ
なものならズリで探せます。しかし,目玉の日本式双晶を探すのは極めて難しい。
もう一つの目玉の「ライン鉱」になる前の鉄重石の自形結晶が透明水晶の中に入ったものがあった。
4.2.2 水晶峠
(1)産地
水晶峠へは,甲府市黒平から乙女鉱山の対岸を行くルートと,牧丘町から長野県の川上村に抜ける峰越林道を通
って行くルートがある。
黒平からのルートは途中にゲートがあり,歩く距離が長いため,峰越林道を通って行く方が楽である。金峰山の
御室小屋に至る登山道で,荒川の上流にあたる沢を目指す。林道から急な坂を下り,平坦な道になり、さらに急な
板を下りると、荒川に至る。岩を伝い濡れないようにしながら沢を渡る。登山道を水晶峠に向かい上って行く。
「水晶峠」の標識のある鞍部に着き、この下方のそこかしこに石英片が散らばっているズリがある。峰越林道から
ここまで,子供連れで1時間強の行程。ここには,「水晶峠」と「バッタリ」鉱山があった。
(2)産状
典型的な花崗岩晶洞ペグマタイトであるが,現在露頭は見当たらず,かってのズリが残っているだけです。
(3)採集方法と産出鉱物
ここも,ひたすらズリを掘るだけです。水晶峠特有の先細りの形のものが多く、山入り、武石付き、硫秋鉄鉱や
黄鉄鉱の入ったものと各種ある。こでは,黄鉄鉱を包有するものや黄鉄鉱が武石になったものと共生するものも是
非採集したい。
4.2.3 小川山
(1)産地
金峰山の北,小川山には10年以上前から,水晶が採れる言われていましたが,最近,愛知県のK氏などによって場所
がはっきりしましたので,報告します。
ここには,山梨県の黒森の奥にある不動滝を経て登るコースと,長野県側からのコースがある。長野県の梓山から,
金峰山荘を目指し,山荘の入口の邪魔にならない場所に駐車します。ここから,金峰山登山道(幅5m以上と広い)を歩
いて約3km行き,登山道と別れ右の道を進むと約1kmでガレ場がある。ここを横切り,右下に砂防ダムを見て,このまま
進み沢におります。この沢を遡行し,沢の水が枯れたあたりから,左側の沢に入ります。途中の岩や露頭には,小さい
ながらも水晶がピッチリ付いたものや,晶洞が見られます。
(2)産状
ここの水晶は,石英脈に胚胎した晶洞にあり余り柱面が発達していないものが多いのですが,透明感と屈折率が高い
のが大きな特徴です。
(3)採集方法と産出鉱物
採集方法は露頭を叩く,岩を覆っている苔をめりその下に隠れている晶洞を探すか,あるいは先人の叩いたズリを探
すか。
透明水晶は,ハーキマダイヤと同じように屈折率が高く,キラキラと輝き美しい。ここでの変種と言えば,黄鉄鉱な
どのインクルージョンを含むものがある。平板水晶も頻繁に発見できますので,日本式双晶も可能性がある。
4.2.4 金峰山と瑞がき山の登山道
金峰山や瑞がき山の登山道で,小さな水晶がついた花崗岩の破片を目にすることが多い。金峰山の項上手前にある千代
の吹上げ付近に,小さな水晶がピッチリ付いた露頭がある。
瑞がき山から黒森に下りる不動滝周辺でも同様な露頭や破片を目にする。金峰山周辺には,このほかの産地として小尾
八幡山がある。国立科学博物館にある大きな日本式双晶は,昭和30年代初めに,ここで採集したものだと黒平に住み,
これを掘り出した方から聞いた。
この双晶と同じ晶洞からでたものを,運よく入手できた。

4.3 甲斐駒ヶ岳周辺
甲斐駒ヶ岳の周辺には,白州町の流川鉱山,鳳来鉱山など最近まで絹雲母などを採掘していた鉱山や御座石鉱山のよう
に,金を採掘したと伝えられる鉱山跡がある。(図5参照)
その中で,鳳来鉱山は,1990年2月から絹雲母を採掘するため新しい坑道を掘り始め,ズリでは2cm位の水晶が拾えまし
た。しかし,平成4年には坑道も閉鎖されてしまいました。
御座石鉱山は,今も坑道が残っていますが,湧水量も多く,入るのに躊躇して,中は見ていません。

4.4 黒平周辺
(1)産地
甲府市黒乎集落の周辺には,旧向山鉱山や旧黒平鉱山などがあった。そのうち,黒平の奥では,数年前にアマゾナイト
が発見されるなど,今でも水晶を発見できるチャンスがある。
図6に,黒平周辺のペグマタイト産地を示します。
(2)産状
ここの水晶は,花崗岩(マサ化している箇所が多い)ベグマタイトの晶洞にあり,電気石,徹斜長石,天河石などと
共生している。
(3)採集方法と産出鉱物
この地域での採集は,沢を遡行しながら,石英片の落ちている枝沢を登り詰め,石英の脈(ツルと呼ぶ)を追いかけて,
晶洞を探すという,昔からのやり方です。
透明水晶の大きなものは10cmを越え,表面に鋭錐石などが付着しているものもある。黒平の煙水晶は,蛭川村のものに
比べ,透明感が高く,茶水晶に近い色をしているものもあり,何となく気品を感じる。ドフイーネ式双晶もあった。
また,ここの長石はピンク色に染まっているもの多く,その影響か,紅色に近い石英も見られる。(紅石英は,ペグマ
タイトの中心部にあると何かの本で読んだ事があります。)
5.おわりに
山梨県の水晶の歴史と比較的簡単に行け,今でも何がしかの水晶が採集できる産地を紹介させていただきました。
昔の文献には水晶産地として掲載されていても,その後の町村合併などで地名が変わり,今では場所すら良く分から
ない産地も多い。私の家から3kmの所に「和田峠」(ザクロ石産地ではない)があり,昔の文献では水晶産地となってい
ますが,未だに場所が良く分かりません。
ある方が提唱しておられるように,地域を決めて昔の産地を復活するのも,我々の責務と考えている。
6.参考文献
(1)田中 収編:山梨県地学のガイド,コロナ社,1988
(2)西原 勝彦編:山梨の自然をめぐって,築地書館,1984
(3)木下 亀城他:標準原色図鑑全集 岩石・鉱物,保育社,1967
(4)柴田・須藤:原色鉱物岩石検索図鑑,北隆舘,1988
(5)甲府商工会議所編:水晶宝飾史,1968
(6)堀 秀道:楽しい鉱物図鑑,草思社,1992
(7)益富 寿之助:鉱物,保育社,1985